昨日の内閣改造、地元テレビでは、山形県選出議員が10年ぶりに閣内に入ったというニュースで持ちきりです。前岩手県知事の増田寛也氏も総務大臣として民間から入閣。元改革派知事としての実績から地域格差是正を期待されてのこと。
増田氏いわく。
「かつての「ばらまき」に時計の針を戻すわけにはいかないが、懐の深い政策を展開していかなくてはならない」
まさに「地方」でこのような言葉を聞くと、言葉の重みもずいぶん違うものです。と同時に、現場を知っている東北の元知事であれば、経済のみを軸に格差を語るのではなく、都市にはない地方の豊かさにも光をあててくれることを、願ってやみません。
地方を経て都市に暮らすと思うのです。都市は貧しいと。いくら金融資産を持っていても手に入らない、お金には換えがたいものが地方にはある。それを語らずして、単一の価値観、単一のものさしで、物事の上下を断じて欲しくはありません。
例えばこんなことがありました。
落ち着きのない息子がスーパーで前を見ずに走っていると、向こうから来たカートと正面衝突してしまいました。ガシャーンと大きな音が響きました。娘に気をとられていた私は、その瞬間を見逃したものの、「やってしまった!」と一瞬からだがすくみます。今までの彼の生活態度を考えるに、たぶん、どう考えても、息子が悪いのです。
私が相手の方に謝ろうとすると、先方のおばあちゃんは、こちらが申し訳なくなるほど、ごめんなさい、私が悪かった、ケガはなかったかと、声をかけてくださいます。
こちらも、どう考えても息子が悪い、びっくりさせてすみません、おけがはありませんでしたか、と相手を気遣います。そして、ああ、庄内だと思うのです。
これが都市のSCやデパートであれば、睨まれたり、嫌みを言われたり、そこまではなくても、まるで衝突自体がなかったかのような態度をとられたり。何ともいたたまれない気分になります。決して先方に悪気はないのですが、それが作法なのです。そしてそういうことを何度か繰り返すと、子連れで外出するのはたいへんな緊張を伴うものに変わってしまいます。母親たち、それもやんちゃな男の子に恵まれた母親たちは、「大人にとって都合のよい子を育てなきゃいけない」というプレッシャーのなか、心を削りながらビクビク暮らす。それが都会です。
別にみながみな思いやりがあるなどというファンタジーを語るつもりはありません。ただ、いつ自分が逆の立場になるか分からない、どこで知り合いに目撃されているか分からないという従来型のコミュニティの存在が、重しになって、一定の秩序や思いやりが保たれているのです。これは、そんなものは面倒くさいと都市が切り捨ててしまった無形資産のうちの一つです。安全を買うこの時代にあって、私たちが安全に安心して暮らすための、プライスレスな資産なのです。
庄内の方で、このサイトをご覧いただいている方は、どのくらいいらっしゃるのでしょうか。
地方の人には、自分たちの持ち物にもっと自信をもってほしい。富を独占しているかのようにいわれている「都市」の現実をもっと知ってほしい。こんな暮らしやすい場所はないのです。お金がなくても幸せに暮らせているのです。