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早過ぎる、突然の死

岩手・宮城内陸地震で、知り合いが亡くなりました。早過ぎる、突然の死。先週は、友人同士で関連の連絡をとりあったりもして、何かというと彼女を思い出し、呆然とすることの多い一週間でした。


私は、昨年二人目の子を産むまで、まちづくり・地域づくりのプランナーとして断続的に仕事をしてきました。マイナーな職業ですが、そのスタートは、恩師から紹介された、観光の研究機関でのアルバイトでした。学生時代のある時期、ほぼ毎日サラリーマンのように丸の内のオフィスに通い、亡くなられた麦屋さんをはじめ数人が在籍するチームのアシスタントをしていました。

当時の麦屋さんは、お子さんを保育園に通わせながら家庭と仕事を両立させているワーキングマザーで、男社会だった業界における結婚・出産・母業のパイオニアでした。出張を繰り返し、脇目もふらずに仕事をしては、深夜残業が当たり前のオフィスで4時半になるとすまなそうに退勤する姿は、女性が仕事をすることのいろいろな意味を、身をもって私に示してくれました。48才。お子さんも大学生になられ、職業人として、これからまさに脂の乗った時期を走っていくべき人でした。

よく千疋屋のアイスクリームをご馳走してくれたこと、みんなで勝鬨橋にふぐを食べに行ったこと、保育園の帰りに手をつなぎながら息子さんと夕食の相談をするのが楽しいと仰っていたこと…この期に及んで思い出すのが食べ物がらみばかりというのも気が引けますが、加賀まりこさんに面影の似た、チャーミングな方でした(私、いつかご本人に似てますねぇって言おうと思ってたのに!)。最後にお会いしたのも、やはり、ある温泉街でのワークショップ。本当に残念です。


一週間、ネットで関連のニュースを見てはタブを閉じられずにいましたが、今日ここに記録することで、一区切りつけたいと思います。この一週間は、自分はやるべきことを後回しにしてはいまいか、優先順位を正しくつけているか、きちんと全力で生きているかと、自分と向き合う一週間でもありました。後悔のない人生を生きていきたい。

ご冥福をお祈りします。

泥の海、手作業の救出阻む 駒の湯温泉:2008年6月15日23時2分

 「手作業しか手段がない」

 捜索2日目となった15日、7人が生き埋めになった宮城県栗原市の旅館「駒の湯温泉」で救出にあたった消防隊員や自衛隊員らは進まぬ作業にあせりをのぞかせていた。

 沢の水を含んだ土砂が一面に広がり、傾いた2階部分だけが露出している。1階部分は土砂が流れ込んで、完全に埋まっていた。前日は2階の内部を捜索したものの、家財道具や土砂にふさがれ、奥まで入れずに終わっていた。

 ぬかるんだ現場に足場をつくるため、消防、警察、自衛隊員が約100人で丸太や畳を運び込み、敷き詰めた。道路が寸断されて重機を運べない。スコップで土砂を除き、バケツで屋内から水をくみ出し、家財道具を運び出した。

 「ドン」と響くような余震でも、一瞬手が止まる程度で作業はすぐ再開された。

 水をくみあげるポンプが空輸されて届くとようやく作業は進み始めたが、行方不明者がいるとみられた1階部分の捜索に入るまでに、作業開始から約4時間を要した。

 「1人発見」

 午後1時20分過ぎ、救出現場を取り囲む消防隊員からの声が届いた。

 しかし、隊員らに歓喜の声はなかった。

 土砂で埋まった1階部分から土砂をかき出し、チェーンソーではりや柱を切り開いた。「もう1人」。数分間に、計3人の発見の報告が飛び交った。いずれも、土砂のなかの1.3メートルほどの間に続けて見つかったという。全身を毛布でていねいにくるまれた担架が運び出された。約1キロ離れた場所に待機するヘリコプターで市内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。

 残る4人は見つからないまま、この日の捜索活動は午後7時で終了した。現場の消防隊によると、生き埋めになった人たちは1階部分のほか玄関周辺など屋外にいた可能性もあるという。

 3人の遺体は同日夕、栗原市栗駒保健センターの一室に運ばれた。身元確認のために呼ばれた親族たちが、ひつぎの前に通された。扉を開いて顔をみると、ハンカチで目をおさえて泣き崩れた。


鉄道愛し、地域に尽くした 駒の湯温泉宿泊者:2008年6月15日23時2分

 駒の湯温泉に宿泊していて15日に死亡が確認されたのは、観光コンサルタント麦屋弥生さん(48)=東京都葛飾区=と、鉄道博物館学芸員岸由一郎さん(35)=同北区。いずれも栗原市で13日に開かれた「くりはら田園鉄道」(廃線)を保存活用する検討委員会に参加していた。2人は14日に近くの湿原を市職員と一緒に調査するという話になり、13日は駒の湯温泉に宿泊していたという。

 麦屋さんは日本交通公社をへて、地域づくりのプランナーとして活躍。草津温泉など観光地の再生に携わり、国土交通省の地域振興アドバイザーもしていた。栗原市との縁では、06年10月から観光アドバイザーを務め、月に1回ほどは同市を訪れていた。

 茨城県那珂市で特産品づくりをしている木内酒造の木内敏之さん(44)は20年近く、麦屋さんと家族ぐるみでつきあってきた。「まちの活性化のため、昔ながらの伝統や個性を探し出すことに取り組んでいた。若者らと朝までお酒を飲みながら語り合い、だれからも親しまれていた」と話す。「温泉が好きで、秘湯巡りをライフワークにしていた。それが災いとなるとは……」と声を詰まらせた。

 さいたま市の鉄道博物館に勤める岸さんは、13日午前に新幹線で栗原市に向かった。当初は日帰りの計画だったが、翌日の湿原調査に同行するために予定を変更したとみられる。

 岸さんは東京学芸大学を卒業。07年10月に開館した鉄道博物館では開設準備から携わった。昨年は鉄道を扱ったバラエティー番組に解説役として出演。全国各地に出向いて車両清掃のボランティアなどもしていた。

 「全国トロッコ列車」を岸さんと共同執筆した鉄道愛好家の笹田昌宏さん(36)=米国在住=は「小さいころから鉄道好きで学芸員にまでなった、我々愛好家の師匠みたいな人」と語る。役割を終えた地方の鉄道の車両や資料を後世に残そうと力を注いでいたという。「彼のために救われた車両も多い。やりたいこともまだまだ残っていただろうに」と声を詰まらせた。

 駒の湯温泉を、夫の菅原孝さんとともに経営するチカ子さん(80)も遺体で見つかった。知人の女性(68)によると、チカ子さんは口数が少なく黙々と働くタイプ。最近少し体が弱くなっていた様子で、孝さんに支えられ、近所で仲良く買い物をしていた。友人らと石垣島に旅行に行ったときも、2人はずっと一緒で楽しそうだったという。


駒の湯温泉宿泊の2人「まちづくり支援」で現地訪れ犠牲:6月15日23時57分配信 読売新聞

 岩手・宮城内陸地震から一夜明けた15日、被災地では懸命の捜索が続いたが、泥水混じりの土砂に阻まれて難航。3人の死亡が確認される一方、13人が安否不明のまま終わった。

 犠牲となった旅館の宿泊客2人は、まちづくりの支援で現地を訪れており、友人らは「地方のために熱心に活動していたのに」と涙した。

 宮城県栗原市の温泉旅館「駒の湯温泉」から遺体で発見された麦屋弥生さん(48)と岸由一郎さん(35)は、ともに現地のまちづくりをサポートするため、滞在していた専門家だった。

 地震前日の13日、2人は現地で廃線になった「くりはら田園鉄道」の保存や活用策を検討する栗原市などの有識者委員会に出席。14日も同市内を視察で回る予定だった。ほかの委員にも「せっかくなので地元を見て回りませんか」と誘ったが、2人だけ駒の湯温泉に泊まることになった。

 14日朝、麦屋さんは拠点を置く事務所の出島二郎さん(64)に電話をかけている。「元気ですか?」。激しい揺れはその約20分後。旅館は大量の土砂にのみ込まれた。

 麦屋さんは観光の研究機関に勤務していたころから、秋田県湯沢市や群馬県の草津温泉など、温泉地の振興を手掛けた。4年前にフリーとなって金沢市に仕事場を構え、夫と大学生の長男が暮らす東京と行き来し、2006年10月からは栗原市の観光アドバイザーを務めていた。

 麦屋さんと懇意だった石川県七尾市のまちづくり会社会長、森山外志夫さん(59)は、「都会だけが魅力的な地域じゃない」と熱っぽく語る麦屋さんの姿が忘れられない。地震の後、つながらない携帯電話に「無事を祈っている。がんばれ」と留守電のメッセージを吹き込んでいただけに、悲報に「まさか」と言葉を詰まらせた。

 岸さんは、「鉄道博物館」(さいたま市)の学芸員。鉄道に関する著書もあり、近年はローカル線の保存運動に力を入れていた。岸さんと親しいトラベルライターの白川淳さん(43)によると、岸さんは新潟県内のローカル線の廃止が決まった際、何十年も使われていなかった木造の貨車を有志と一緒に修理し、記念運行の実現にこぎ着けるほどの情熱の持ち主だったという。

 「消えゆく地方の鉄道を何とかするため、岸さんほど熱心に活動した人はいなかった」。白川さんはそう言って涙をこぼした。


岩手・宮城地震 必死の捜索、3遺体次々発見…駒の湯温泉:6月15日22時28分配信 毎日新聞

 岩手・宮城内陸地震から一夜明けた15日、被災地で行方不明者の捜索活動が続き、宮城県栗原市の旅館「駒の湯温泉」では男女3人の遺体が次々と見つかった。崩れた山肌、壊れた家屋……。震源地に近い東北地方の山間部には激震のつめ跡が生々しく残っている。

 地震による土砂崩れで道路が寸断され孤立している宮城県栗原市栗駒沼倉耕英(こうえい)地区に15日、同僚記者とともに入った。土石流に埋まり、宿泊客と従業員の計7人が行方不明になった「駒の湯温泉」。風光明媚(めいび)な周辺の渓谷には泥の海が広がる。消防隊員らは十分な機材が使えない悪条件の中、手作業の救助活動を続けた。

 「駒の湯温泉」は同地区でも最も古い温泉旅館という。戦後間もなく、旧満州(現中国東北部)に渡った開拓団が新天地を求めて帰国。旅館近くに間借りして開墾に励んだ。それだけに地区住民の思い入れは深い。

 だが、地震のつめ跡は深かった。近くの山が崩れ落ち、深さ約60メートルはあったという渓谷を埋め、野球場が入るほどの泥の海と化した。旅館は50メートルほど押し流され、一回転した。1階部分は完全に埋没。近くにあったという従業員宅は跡形もない。近くに住む行方不明者の親類という女性(59)は「こんなにひどいとは。地形が変わってしまった」と立ち尽くした。

 朝5時、警察、消防、自衛隊による救助活動が始まった。だが、沢の水を含んだ泥に足を取られ、作業は困難を極めた。人海戦術で伐採した木の枝などで足場を作り、スコップで泥をくみ取る作業が延々と続く。

 午後1時すぎ。「2人いるぞ。担架!」

 応援に来ていた山形県の消防隊員の声が響いた。「本当か?」。緊迫した雰囲気が一瞬期待に変わったが、すぐに生存は絶望的と分かった。

 発見した早坂卓人消防士長(34)によると、泥に埋まった1階の衣装だんすをひき上げると、泥だらけの女性が見えたという。さらに周囲を掘り進めると別の遺体。約1時間後、同じ部屋の近くからもう1人が見つかった。

 遺体は、宿泊客で地域づくりプランナー、麦屋弥生さん(48)▽鉄道博物館学芸員、岸由一郎さん(35)▽同旅館手伝い、菅原チカ子さん(80)の3人だった。

 「早く見つけてあげたい一心で懸命に泥をかき分けたが……」。早坂消防士長は悔しさをにじませた。【大場弘行】


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